アラウィ派沿岸虐殺 2025-3-7〜9
シャリファを含む地域で、アサド政権残党が率いる反乱軍の鎮圧を大義名分として虐殺が行われました。暫定新政権のスンニ派がアサド政権のアラウィ派を虐殺しました。この3日間で1479人が死亡しました。アラウィ派は、シーア派に近く、イスラムとキリストの融和と共存繁栄を目指し、アサド政権に重用された少数派です。旧政権は、世界有数の美しい景観を持つ都市に発展させました。そして、アメリカが仕込んだ武装組織 (代理戦争) により政権転覆した国の一つとなりました。オスマン帝国崩壊からの戦後統治が変容しました。暫定政権になったことで、イスラエルとトルコの緊張感を生み出しています。 一部地域についてクレイドル紙から引用しました。媒体によって報道内容に相違点があり、未だに判然としない大虐殺だった事がわかります。 ※シャリファは、ラタキア郊外の小さなアラウィ派の村です。壮麗なサラディン城があるスンニ派の町、アル・ハッファと、ラタキアからイドリブ、アレッポ、そしてシリア北東部を結ぶM4高速道路の間にあります。 3月6日の夕方に銃声とともに、シャリファ出身の若いアラウィ派、ラーファト・ハワットと、近隣のババンナ出身の若いスンニ派、フセイン・ハムショの遺体が発見されました。スンニ派の男性が死亡したことで、同夜、シリア政府と提携する武装勢力のメンバーがシャリファの入り口に集まり始めました。 3月7日午後、アルカイダ系シリア政府と関係のある派閥の武装集団が、ラタキア県にあるアラウィ派のシャリファ村を襲撃しました。近隣の村から武装したスンニ派の民間人も加わり、3日間にわたり30人を虐殺し、家屋や商店を組織的に略奪し、放火しました。女性3人と男性27人が死亡しました。うち12人は50歳以上で、最高齢は96歳の農民でした。 シャリファでの虐殺は、シリア政府系武装勢力がその日、シリア沿岸部のアラウィ派の村や都市で行った数々の虐殺の一つであった。シリア人権監視団(SOHR)によると、3月7日から3日間にわたり、少なくとも55件の虐殺が行われ、少なくとも1600人のアラウィ派民間人が殺害された。虐殺は、アラウィ派の住居に対する組織的な略奪と焼き打ちを伴っていた。 アラウィ派の殺害の様子を捉えた多くの動画は、加害者自身によって撮影され、ソーシャルメディアに投稿された。武装した男たちが非武装のアラウィー派男性を地面に這...